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讃岐型前方後円墳の広がり(2)

 讃岐型前方後円墳は、阿波・伊予・播磨・吉備など東瀬戸内地域に伝播し、丘陵部で築造される。前方後方墳の場合もあった。P1010564 気延山.JPG

 阿波では、吉野川下流域南岸の支流に沿う気延山(写真)の周辺、および中流域南岸に沿う四国山地の2ヵ所で、讃岐型前方後円墳が登場する。いずれも弥生終末期に前方後円形の墳丘墓が造られた近くであり、墳形の発展に沿う形で出現したとみられる。
 「前山1号墳」(徳島県名西郡石井町)は渡内川右岸の小丘陵(標高160m)にあり、気延山北麓にあたる。墳長18.7m/後円部径9.7m/前方部長9mを測り、前方部はくびれ部から中程にかけてが狭く低く(幅2.2m/高さ0.3m)、先端部へ向けては開いて(幅5.5m)やや高くなる。後円部は積石塚で、前方部は盛土で側縁に葺石があった。後円部中央の竪穴式石槨1基は主軸に直交する南北方位で、内法が[長さ約3.1m×幅0.8∼1.0m]。3世紀末~4世紀初の築造。東四国で最小規模の前方後円墳とされる。
 「2号墳」は墳長約18m/後円部径11m/前方部長7mで、前方部の幅はくびれ部4.5m/先端部6mとバチ型。竪穴式石槨2基があり、立地状況と前方後円墳の墳形から、1号墳より後出すると推定。
 「八人塚古墳」(徳島市名東町)は、気延山および鮎喰川の南東側で、眉山(びざん)北西麓の名東山の丘陵端(標高100m/比高90m)にある。後円部が積石塚で、前方部は不明。1966年の調査で墳長60m/後円部径30m/前方部長30mとされたが、2006年の測量では後円部径24m/前方部長21mが確認されたとどまり、詳細は発掘調査待ちという。竪穴式石槨が想定されるが、8人の武将の墓との伝承から名付けられた。3世紀後半~4世紀前半の築造。他の讃岐型前方後円墳とは異なり、前方部が後円部より尾根筋の下方にあるのは、吉野川下流域南岸の古墳における通例という。
 「丹田古墳」(徳島県東みよし町)は、吉野川がJR阿波池田駅を過ぎたあたりの南岸にある加茂山(719m)の山中で、北に下る尾根筋の先端(標高320m/比高218m)に築かれた。吉野川が北に大きく蛇行して、西・北・東の三方を川で画された東西3km×南北1.2kmの氾濫原ができ、水田稲作が伸長して前期古墳16基が造られた。それらの盟主墳として造られたとみられる。
墳長38m/後円部径19×18m/前方部長18mの前方後円墳(or前方後方墳)で、前方部の幅はくびれ部10m/先端部6.6mと先端が狭まる。近くの川原で採れる結晶片岩を5-6段に小口積みし、白円礫で覆った積石塚である。竪穴式石室[長さ4.5m×幅1.3m]の主軸は東西方位で、盗掘されていたが上方作系神獣鏡1、鉄剣片2、鉄斧1、鉄鏃1を出土した。4世紀初頭の築造と推定。

 伊予では、高縄半島の東側にあり、燧灘を東に望む唐子山が弥生後期以降の墳墓の集積地であったが、出現期前方後円墳もここに登場する。
 「雉之尾(きじのお)1号墳」(今治市桜井)は、唐子山の山頂(標高105m)から西にくだる丘陵尾根の先端にあり、西に平野部を臨む。墳長30.5m/後方部辺15.5m/前方部長15mを測る前方後方墳で、墳頂と墳裾に焼成前に底を穿孔した二重口縁壺があった。小型の重圏文鏡1、鉄剣2、鉄鏃9、鉄製工具などを出土した。墳丘はすでに消滅した。
 「唐子台第15丘」が近くにあり、墳長29.5m/後円部径13.9m/前方部長13mを測り、前方部の幅はくびれ部5.5m/先端部8.3mとバチ型。埋葬部は箱型木棺と粘土槨の2基があり、前者から鉄剣1を出土した。宅地化により消滅した。

 南播磨では、瀬戸内海に面する小丘陵に、出現期の前方後円(方)墳が登場する。
 「岩見北山4号墳」(たつの市御津町)は、揖保川右岸で、瀬戸内海を望む岩見北山古墳群にある。ここに弥生後期~古墳時代前期に築造された積石塚7基があるが、そのなかで唯一の突出部付き墳墓である。墳長23m/後方部長13mを測り、前方部の幅はくびれ部3m/先端部4mとややバチ型。讃岐型の複合口縁壺型の土器片を出土した。庄内式期の築造で、鶴尾神社4号墳と同時期とされる。
 「養久山1号墳」(たつの市揖保川町)は、同じ揖保川右岸で河口から少し上流の養久山(標高99.5m)にあり、頂上から南に下る尾根筋に築かれた。墳長31.65m/後円部径17.6m/前方部長15.5mの前方後円墳で、(舶載)四獣鏡を出土した。土器片が庄内式(新)~布留式(古)のもので、3世紀中葉の築造。
 「長慶寺山1号墳」(加古川市上荘(かみそう)町)は、加古川下流域の右岸の小丘陵(長慶寺山)にある。墳長34.4m/後方部辺17.5mを測る前方後方墳で、前方部はくびれ幅10m/先端幅11mと幅がほぼ同じ。3世紀末~4世紀初の築造を推定。

 「都月(坂)1号墳」(岡山市津島本町)は「吉備の穴海」に面する半田山から鳥山へ続く鞍部にあり、墳長35m/後方部辺16mを測る前方後方墳。墳丘のまわりから特殊器台形土器と特殊壺形土器が同数で折り重なって検出されたことから、壺形土器を台形土器の上に載せて供献したことが明らかになった。特殊器台形土器は、鋸歯文・綾杉文の線刻紋様がある「都月型」と呼ばれ、筒状で細く、脚部が失われた形状に特徴がある。以後の古墳から多量に出土する琴となる。

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