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百済 仏教伝来

 伽耶諸国を除けば、三国のうちで倭国ともっとも密接な関係を持ったのは「百済」で、三国が拮抗するなかで、百済は倭国との関係を重視したようです。
 かつての百済の地を訪ねてみましょう。
 先述した司馬遼太郎氏の『韓のくに紀行』では、金海地方(むかしの伽耶諸国)、慶州(むかしの新羅)とめぐったあと、半島を西に横断してかつての百済の地に向かいます。百済は、5、6世紀のころに中国の南朝文化を取り入れて、三国のなかでもっとも華やかでしたが、現在では訪れても目立った文化財を見つけることができません。
 司馬氏が紀行文のなかで唯一触れている文化構造物は「百済塔」(下の写真)です。朝鮮半島でもっとも古い石塔で、国宝に指定されています。定林寺(チョンニムサ)址と呼ぶ広い伽藍の中央にポツンと立っています。この石塔の下部には「大唐平百済碑銘」という文字が刻まれていて、唐が百済を滅ぼした記念に刻んだものだとされています。(このあたりは司馬氏の紀行文に詳しいのでご参照ください)。
 定林寺址の奥まった建物には、後の高麗時代に作られたという石の仏像(下の写真)があります。ただし石像の頭部は後世に作られて、のちの時代に載せたものといい、なんだか不釣合いでこっけいな感じがする像です。
 我々を案内してくれたガイドは百済出身でして「百済が唐・新羅の連合軍に攻め滅ぼされたときに、優れた文物のすべてが奪われて持ち去られたから、いまの百済には何もない」と慨嘆することしきりでした。「現代でも、百済人(全羅道の人びと)は文化的感性には優れているが、政治的・軍事的には新羅人(慶尚道の人びと)にかなわないから、いつも百済側が損をしている」と嘆きます。韓国で百済地域から大統領になったのは「金大中」氏ひとりだけだそうです。
 三国時代の各国は、国づくりの基礎としてそれぞれ仏教を重んじました。もっとも早く仏教が伝わったのは高句麗で372年、ついで百済が384年でした。新羅へは少し遅れて528年のようです。
 日本には百済をつうじて仏教が伝えられます。
 我々は「538年(日本書紀では552年)に百済の聖明王(聖王)が日本に仏教を伝えた」と学びます。「仏教伝来」です。韓国の『中学校国定国史』にも「(百済の中興の基盤を整えた)聖王は・・・仏教を奨励し、中国と文物を交流し、倭とも友好的な関係をもって、仏教などさまざまな文物を伝えた」と書いています。
 これについて興味深い壁画を見つけました。次項で取り上げる「落花岩」という観光地を訪れたときのことです。司馬氏は勧められたけれどもここには行かなかったと紀行文にありますが、百済の数少ない観光スポットのひとつです。
 落花岩のふもとにある皐蘭寺(コランサ)の裏手の軒下に、下に掲げた写真の壁画があります。これが百済から日本へ仏教を伝える使者が出発する光景だというのです。その折には金銅の釈迦像、経典、仏具の類いが招来されたといいますから、実際にこの絵のようなにぎにぎしい一団の出立風景があったことでしょう。この場所には次項でとりあげる百済滅亡時のものを含めて4枚の壁画があります。その1枚に仏教公伝が含まれていることは、半島の人々がこの事実をいかに重視しているかを窺わせます。
 折から近隣の小学生が遠足で来ていて、この絵の前に行儀よく並んで先生の話に耳を傾けていました。教育に熱心なお国柄で、話に聞き入る生徒らのまじめな態度が印象的です。韓国語は理解できませんが、おそらく「こうやって日本には仏教を教えてあげたのに・・・」という風な説明がなされていることでしょう。
 日本へ文物を教えたという話になると、韓国の教科書は俄然、雄弁です。
 小学校教科書の段階で「百済の文化を日本に伝えてあげた王仁」については「千字文、論語などを伝え日本人に漢文と儒学がわかるようにつとめた」と書かれています。「高句麗の文化を日本に伝えてあげた曇徴」については「法隆寺の壁画を完成し漢文を教え、紙、筆、墨、絵の具、石臼などの作り方を伝えた」と詳細です。
 高校の歴史教科書となるとさらに詳細です。「日本に渡ったわが国の文化」という一節が設けられ、百済では阿直岐、王仁のほかにノリサチゲ。高句麗では曇徴のほかに慧灌(三論宗)、慧慈(聖徳太子の師)。統一新羅では元暁(華厳宗)、強首(漢文)、薛聰(儒教)、審祥(華厳思想)などの人びとが指摘されています。我々がほとんど習わなかった人物の名前があげられています。
 韓国の国立中央博物館(在 ソウル)にある「金銅 弥勒菩薩半跏像」(国宝第83号)と日本の広隆寺にある「弥勒菩薩半跏思惟像」(木造)とが瓜二つである写真は、いたるところで見かけます。
 半島では「日本には優れた文物をいろいろと伝えてあげたのに・・・」という風に話が続くのでしょう。なんともやりきれないので、別の機会に「日本から朝鮮半島に伝わったものには、何がありますか」とある韓国人に尋ねました。そうすると「トウガラシ、サツマイモ」という答がありました。
 これらはアメリカ大陸原産の農産物です。スペインが16世紀に”新大陸”に到達し、メソアメリカ文明(マヤとアステカ)とアンデス文明(インカ)を滅ぼしました。そのとき、これらの作物がヨーロッパにもたらされ、それがアジアの南を通じる交易路によって日本に伝わりました。
 このため我が国では、唐ガラシ、薩摩イモ(沖縄では唐イモ)、ジャガイモ(ジャガタライモ)、カボチャ(カンボジア)などと、南方地域に関連づけられた名前で呼ばれる農作物があります。それらが日本を経由して朝鮮半島に伝わったのでしょう。


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