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「基軸の時代」 達成されたこと

 前項で概括した社会情勢を受けて「基軸の時代」において達成された精神的成果は何であったでしょうか。以下にそれを箇条書きでまとめてみます。
 第一に、人びとは宗教における神概念を統一すべきことを学びました。
人類がそれまでに培ってきた自然信仰や祖先信仰では「神」が次々に増えていきます。自然信仰では、太陽、月、山、河、雨、雲などの自然物や自然現象を崇めますが、自然から大きな脅威を感じたり、逆に恩恵を感じたりすると、次々に神が付け加わります。今般の東日本大震災のような大災害があれば、海・津波・海神などに神意を感じたでしょう。祖先信仰でも、部族や民族が大きな苦難を経たり、逆に栄光を経験したりすれば、ときどきに活躍した偉人や権力者に対する信仰が生まれたでしょう。
 こうなると部族や民族はそれぞれに異なった数多くの神々を奉じるようになります。それは集団間に安定的関係を築いたり、争いを円滑に収束したりする際に有意義ではないでしょう。「神々の対立」を引き起こすなどとなって、神の存在自体が争いの契機になりかねません。先スペイン期におけるメソアメリカの事例で書いたように、集団間の対立を止揚するには何らかの共通的・普遍的な神概念を確立することが有効です。
 これには、いくつかの方法があります。
 ひとつは、ユダヤ教のように唯一の絶対神を設定することです。この世界のあらゆることがひとつの神の意志によって創造されると考え、残余の神への信仰を禁じることです。マックス・ウェーバーは、ユダヤ人が遊牧民、半牧半農の牧羊者、定住農民、都市市民という多様な社会層からなり、これを束ねる必要性からヤハウェという唯一神を立てたと考えました。唯一神の偶像を禁止して具象的な神の姿を忌避すると、さらに神の普遍性を徹底する効果を生みます。
 次いでは、特定の神を最高神とし、残余の神々を下位の神格に位置づけることです。ヒンズー教では、もともと嵐を象徴する破壊神のシヴァ神と太陽を象徴するヴィシュヌ神とを最高神とし、その他の多くの神々を両神の化身であるとしました。またゾロアスター教では多くの神々を善神と悪神に分け、2つのグループのなかで階層化を行いました。アフラ・マズダが善神の最高位にありますから、実質的にこれが最高神とする解釈も成り立ちます。
 さらには、人格神ではない抽象的様態をこの世の根源と考えることも同じ効果を生みます。釈迦は万物が生成する原理として「縁起」を見出し、あらゆる実体が関係性によって生ずると説きました。これを受け大乗仏教の祖であるインドの仏教僧・竜樹(生没年不詳)は万物の根源は「空」であるとの教説を立てました。般若心経において「色即是空 空即是色」と繰り返し唱えられるものです。つまり本来、この世のことは実体がないのであるから執着すべきではない、また人びとが何をどう受け止めるかによって実体が現れるとしました。
 中国古来の思想や生き方を取りまとめた「道教」においては「道」から宇宙のすべてが自然発生的に誕生したと考えますから、道が万物の「本源的な存在」ということになります。また中国で生まれた禅宗仏教においては「無」を強調します。「無とは、虚無の無ではなく、有無の無でもなく、あらゆるものを超える」といいますから、あらゆることの根源をとらえ得た自由自在の境地を指すものなのでしょう。
 第二に「基軸の時代」に達成されたのは宗教慣行や信仰形式の合理化です。
現代でもそうですが、社会が混迷状態にあるときには、得てして呪術的な祈祷や所作(占い、念力、まじないなど)が流行ります。妖怪、怪物、妖精、霊などの精神的な産物も登場します。前段で述べた神概念の整序ないし統一がなされると、呪術という祈りの形式はあまり意味がないと察せられるはずです。呪術において頼ろうとしているのは目前の祈祷師の言葉などであり、明らかに唯一神や最高神でないからです。
 「怪力乱神を語らず」は有名な言葉ですが、孔子の所作として儒教の聖典である『論語』に記されます。釈迦は、死後の世界のことを問われても「答えなかった」(“無記”と記される)とされます。平安時代の仏教僧である空海は『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』のなかで「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し」と書きました。中世ヨーロッパの教会堂の外壁には、しばしば怪物が彫刻されていますが、その地域に跋扈した怪物をキリスト教会が抑え込んだことを表すものとされます。
 ただし呪術に対する人びとの関心は尽きないようです。中世のヨーロッパでもキリスト教会が力を失ったときには悪霊が登場し、16~17世紀の北部地域を中心に「魔女狩り裁判」が盛行しました。悪魔に魂を売ったと名指しされた彼女らは、多くの場合、拷問によって関係したことの自白を強要され、処刑されました。その数が10万人に達したとする推計があるほどです。
 現在の我が国でも、パワースポットや占いの人気が高まっています。多くの人びとは、それらを本当に信じているわけではなく、真実の開示であるのか効果があるのかと疑いつつ、面白半分・暇つぶし半分に関わっているのでしょう。「基軸の時代」における宗教の合理化によって明らかであるにも拘わらず呪術が盛んなのは、ヒトの本性に根差したものだからでしょうか、あるいは人間の精神の弱みに発するものでしょうか。
 第三に、この時期に達成されたことは「人とは何か、どう生きるべきか」という根源的な問いが、繰り返し問われることが始まりました。
 サルから進化した人類がそれまでの動物と大きく異なるところは、知識や智恵を発達させて大きな富を蓄積し、かつ多様で大きな社会集団を形成するようになったことです。他の動物とは大きく異なる生存条件を手にしたところで、それにふさわしい生き方を見つけなければなりません。サルのままの精神状態では強奪や争いが頻発して、円滑に共存できないことが了解されたでしょう。このとき「何とかしなければ」という精神運動が惹起されました。むつかしくいえば人類が精神的覚醒を遂げたということであり、自己の限界に気づいたということになります。「社会における人倫のあり方」を根源的に探究する旅が始まります。
 「基軸の時代」に到達した考えは、各人が自らの欲望の肥大化を抑えるべきこと、つまり我欲をコントロールして自己犠牲の精神を発揮することでした。釈迦は「慈悲」を強調し、孔子は「仁(思いやり)」が最高の道徳であると語りました。のちにイエス・キリストが語った「己の欲せざるところを人に施すなかれ」の言葉に示される「隣人愛」が、キリスト教の黄金律となりました。
 人類が生物として引き継いだ利己的遺伝子は、生命体が自らを維持・保存するために必須の要件です。ただし、これが命ずるままに皆が生きるのでは混乱が避けられません。何とか欲望を自制し互いに抑制する方途を見出していかないと社会生活が成り立ちません。農耕文明と都市文明を経て富と権力が大型化した社会において、このような精神過程を経ることを迫られたでしょう。
 現代は、この後さらに近代革命や情報革命を経て、いっそう複雑かつ高度な社会になっています。「基軸の時代」の賢人や聖者が発見した人倫は依然として有効かつ不可欠ですが、それだけで十分でしょうか。社会情勢の変化に応じて、さらにふさわしい生き方は何かが探究されなければなりません。
 第四に、さらに進んで社会秩序や社会制度に関する新しい哲学や思想の開発を迫られます。
 異なった考えや多様な主張を持った人びとを円滑かつ機能的に束ねていくには、どういう社会システムを構築していくべきかを考える必要があります。さまざまの慣行や伝統を持つ人びとが混住しますから、対立点が表に現れないように安定的な社会システムを構築しなければなりません。この視点に立って「基軸の時代」のころに生み出された政治システムを考えると次のようなものがあります。
 中国の諸子百家では、法制度の重要性を説くもの(法家)、古来の伝統やしきたりを貴ぶもの(儒家)、兼愛を説くもの(墨家)などと百家争鳴でした。そのなかで紀元前3世紀に中国を統一した「秦王朝」は、法家の主張を取り入れて法による支配を目論みました。引き続く「漢王朝」は、道徳の重要性を重んじて儒家の主張を取り入れました。その後の紀元後7世紀には「隋王朝」が「科挙」を導入して儒教精神を問う試験制度を設けました。これによって貴族層に代わる指導者を選抜する仕組みを作り上げ、これが長く中国の行政システムの中核となりました。
 ギリシャの都市国家(ポリス)には、貴族(家柄による)のほか、平民(騎士、農民、市民など)、奴隷(戦争捕虜や債務奴隷など)という3つの社会階層がありました。そのうち政治に参加するのはかつて軍役義務を課される貴族だけでしたが、平民層の地位が高まるに応じて紀元前5世紀ごろに平民による直接民主制が導入されました。平民層が、それぞれの財産の多寡に応じて民会や民衆裁判所に参加するシステムとなりました。
 インドでは、紀元前13世紀ころにアーリア人が西北部から進出してきたとき、ヴァルナ(皮膚の色)とジャーティ(出生)に由来する階層制が生まれました。紀元前5世紀に登場した釈迦(仏教の開祖)はこれをきびしく否定しましたが、バラモンの僧らはその挑戦を克服すべく精緻な理論展開を行ってヒンズー教の教義を体系化しました。輪廻転生思想にもとづくカースト(血統)によって職業や仕事を振り分けるシステムが、多民族で構成されかつさまざまの文明の挑戦を受けた中洋のインドにおいて、社会秩序の維持のために一定の役割を果たしたことは否定できないでしょう。


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アヨアン・イゴカー

>ヴァルナ(皮膚の色)とジャーティ(出生)に由来する階層制
jatiと言う言葉の意味、初めて知りました。
by アヨアン・イゴカー (2011-05-01 23:00) 

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