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徒党を与(くみ)して立ち退く

 香川歴史学会の木原溥幸氏は、生駒騒動に関する毛利家文書・山内家(土佐)文書・細川忠利書状などの文献調査を行い『香川大学教育学部研究報告』ほかで累次に発表されている。これによると、幕府は各藩に送った文書において「生駒藩の改易理由は徒党による立ち退き」であると通知した。つまりこれが騒動の処分に関する幕府の公式見解である。
 このことは騒動の両当事者に対する幕府裁定の軽重からも裏付けられる。藩から立ち退いた前野・石崎派の者は重罪となり、子どもを含め18名が死罪となるが、譜代派の生駒帯刀ら3名は他藩へのお預けである。中立的立場とされた奉行の三野四郎左衛門は「主の方」に尽くしたことを理由に、丹後宮津藩の京極高広にお預けのうえ30人扶持とされた。

 1635年、幕府は「武家諸法度の改正」(寛永令)を行い、第6条に新しく「新儀ヲ企テ徒党ヲ結ビ誓約ヲ成スノ儀、制禁ノ事」を加えた。つまり家臣らが「新しく事を構え、仲間を集めて徒党を組み、誓約を交わすことを制禁」した。
 戦国時代には、武士団(国衆など)が気に入らない主君を捨て、他へ移ることが普通であった。各武士団は主君のもとで戦い、軍功を挙げることにより、勢力拡大と出世を願う。つまりどの主君を選ぶかが「鍵」であり、これに失敗すると生き残れない。
 このことが戦国の世を活性化したが、いまや江戸幕府がめざすのは「天下泰平」である。大名の家臣となった武家は、主君の意に従って格別の企みを起こさないことが御家安泰のもとであり、ひいては幕藩体制の安定に繋がる。寛永年間の「武家諸法度の改正」は、このようにた世の中の潮目が変わったことを、背景とした。

 こうした事情を、前野・石崎派が知らなかったはずはないとされる。生駒藩主の高俊が1640年5月に老中の阿部重次に示した「申上覚」によると、34年に前野・石崎派の14名は「何分も訴訟がましきこと事、徒党を立て与(くみ)するを致し申すまじく事」と認めた誓紙を、藤堂家に提出していた。そうであるのに、なぜ彼らは「藩からの立ち退き」を敢行したのか。
 可能性として、前野・石崎派が藤堂家に誓紙を提出したのが、武家諸法度が改正される前年の1634年であったことから、彼らは「徒党を与しての立ち退き」が“幕府御制禁”になっていた事実を、いまだ知らなかったことがあろうか。あるいは知っていたとしても、40年春までには厳罰に処せられた前例がなかったので、重大視しなかったのか。
 ただし実際に幕府が重罪とする「徒党を与しての立ち退き」が行われたとしても、断罪されるべきは立ち退いた家臣らである。また武家同士の対立がどうしようもなくなっていたとすれば、古来の武家の慣行とされた「喧嘩両成敗」により、双方を処分するのがふつうである。大名改易の理由とは、なり得ない。

 文献資料について、19世紀前半に成立した幕府の公式記録の『徳川実紀』には「生駒高俊が前野・石崎の領地を没収したため徒党を組んで退散した」との一節がある。楽真子の記述にはない筋書きで、改易の責任を藩主・高俊に押し付ける色合いの強いシナリオであって、事実ではないであろう。
 しかし当時の生駒藩において次に掲げるような、知行地に関するいくつかの変動要素を想定できる。家中騒動によって藩内が動揺するなか、これらの要素が誇張ないし誤解されて伝わり、知行地没収という憶測を生み「藩からの立ち退き」を誘発した可能性が、なくはないのかも知れない。
 ① 西嶋八兵衛の灌漑事業によって、田畠ごとの水利条件が変化したから、田ごとの等級変更(上田・下田など)が議論される。これにより、知行地の大がかりな再配分が予定されたり、実行されたりしていた。
 ② 1640-~43年、ほぼ全国は「寛永の大飢饉」という江戸期の3大飢饉のうちの、最初の大災害に襲われる。このとき讃岐は、前触れとなる天候不順により、3年来の凶作に見舞われていた。これが今後の稲作に対する見通し難い不安や失望を醸成した。
 ③ 前項で指摘した「家臣への給与方式の変更」に関して、生駒藩内で何がしかの噂や計画が流布されていた場合、この措置はまず上級家臣から知行地を取り上げることに始まる。したがってこれが、前野・石崎派の不安を直撃したのかも知れない。

 生駒騒動の裁定が下された1640年は「島原の乱」(37-38年)の直後で、一揆勢には各地から多くの牢人衆が加わったこともあり、幕府は鎮圧に思わぬ苦労をした。大名改易はさらに牢人を増やすこととなるから、幕府としても避けたいのではなかったか。
 生駒騒動は讃岐藩内に留まるものであり、外部へ波及して、幕藩体制を揺るがすほどの大事ではない。したがってやはり、巷間に噂されあるいは物語化されるように「豊臣系の外様大名の取り潰し」という幕府の底意があったと考えるべきであろうか。
 藩内の深刻な対立を藩主・高俊が後々までどうして知らなかったのかという点も含め、生駒騒動に関係する「謎」は、なお深い。
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