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ベトナムの宗教事情

  ベトナムに仏教が最初に伝えられたのは海路によってであるらしく、インドから2世紀半ばに直接もたらされた。その後は、中国が後漢末の3世紀に中原が混乱したとき、知識人がベトナム北部の紅河デルタ(当時「交趾」と呼ばれた)に逃れてきた。それ以降も、高僧が折に触れて渡来してきたので、ベトナムは色濃い仏教国になった。現在、国民の80%が仏教徒とされる。
  中国を通じて濃厚に仏教を受け入れたので大乗仏教の国になり、とくに禅宗や浄土宗など中国生まれの宗派の広がりが大きい。上座仏教と異なって、大乗仏教は理論化の過程で如来や菩薩など、さまざまの仏像を生み出したので、ベトナムの寺院にも釈迦如来や阿弥陀如来のほか、観音菩薩、勢至菩薩などさまざまの仏像が鎮座している。
  これと同時に、中国からは道教の習俗も導入されたので、それに関する神像も祀られる。老子像や玉皇上帝(道教の最高神とされる)を祀る寺院があれば、お腹の張り出た布袋像もある。海難を救うことで福建省や台湾で信仰があつい媽祖(まそ)も道教の女神であろう。
  ベトナム南部の先住民であったチャム族は、他のインドシナ半島の人びとと同様に、まずヒンズー教を受け入れ、その後はイスラム商人の進出にともなってイスラム教も受容した。チャム族は、いま極小化されたとはいえ一定数が存在するので、ホーチミン市にはヒンズー教寺院やイスラム教のモスクもある。

  ベトナムで「神社」というと、偉人を祀るものをいうらしい。孔子など儒教の聖人を祀るものもそう呼ぶ。
  歴史的に科挙制の充実を図ってきたので、ハノイ市の中央に孔子廟(文廟)があることはすでに述べた。ここには孔子像のほか、弟子の顔回、子思、曹子、孟子と4人の像が並ぶ。ベトナムで初めて大学がおかれた場所であり、数世紀にわたる科挙試験の合格者の氏名が刻された石碑もあるので、受験に霊験があると思われて子供連れの訪問者が多い。
  元と戦った英雄である陳興道(チャン・フン・ダオ)がハノイ市中央にある玉山祠に祀られていることはすでに述べた。チャン・フン・ダオ廟はホーチミン市にもある。ハノイ市のハイ・バー・チュン廟には、北属時代の西暦40年に中国に抗った徴(チュン)姉妹が祀られている。
  チャンパ族に降嫁するという犠牲を払った公主(皇帝の娘)も尊崇の対象となる。陳朝第2代仁宗の皇女であった玄珍公主は、1306年に王同士の話し合いにもとづいてチャンパ王に降嫁した。これにはベトナム国内で反対論が高まったので、仁宗はフエ市やホイアン港の一帯をチャンパからベトナムへ割譲させた。その功を讃えるため、最近、フエ市郊外に仁宗と玄珍公主を祀った神社が建設された。
  真新しくて広大な境内が山麓に展開する。山の中腹にある神社に向かって、山の斜面にそった広くて長い参道が直線的に伸びる。参道の両側には龍の彫り物があり、欄干を構成している。この様式は、中国でしばしば見かけるものである。玄珍公主.JPG
  さらにキリスト教徒が人口の8~10%とかなりのウエイトを占める。長くフランスの植民地下にあったことによるもので、聖母マリア教会が1877~83年にホーチミン市の中心に建造された。ステンドガラスが美しく、教会の前には大きなマリア像が立つ。ハノイ市のセント・ジョセフ大聖堂は、1886年に堂々たるゴシック様式で建設されたもの。フエ市の大教会も、新市街の中央にある。いずれのキリスト教会も大都市の中央に佇立するのは、当時のフランスの意思を反映したものであろう。
  かくしてベトナムは、仏教、キリスト教、イスラム教という3つの世界宗教はもちろん儒教・道教のほか、さまざまの偉人や聖人への信仰を受容している。「これらはうまく整合するのであろうか」という疑念が浮かばなくもないが、考えてみると我が国も似たようなものではないか。
  一神教の国から来た人びとは、日本の宗教事情がいぶかしく見えるに違いない。多くの諸仏・諸菩薩を擁しながら、うるさくないので、他の宗教要素と容易に共存・混交できる大乗仏教のいいところであろう。

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