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アメリカの技術革新

  そこで「技術革新」の実態について少し考えてみましょう。日本もこれまでに相当の成果をあげてきたことは事実ですが、この進展を手放しで喜んでいいものでしょうか。
  まずは、アメリカの経験を考えます。
  アメリカの社会学者であるエズラ・ボーゲルが“Japan as No.1”という本を出版したのは1979年でした。その後の彼は「Japan“is”No.1ではない。No.1たるべき日本のなすべきことを書いたのだ」という趣旨のことを吹聴していますが、この本が日本に追いつかれたアメリカの雰囲気を伝えたことは事実でした。
  日本に追いつかれて低成長に陥ったアメリカは、技術革新によって新しい産業分野を興すことに挑戦し、みごとに成功させました。それが「IT革命」です。
  その成果はご存知のとおりです。シリコンバレーを中心にひとり一人がコンピュータを持つことをねらいとしたpersonal computer (パソコン)が開発され、それらをインターネットで結んで自由に情報をやり取りできる時代が到来しました。まことに画期的なシステムというべきでしょう。これが商取引はもちろん、工場における生産管理や品質管理、マーケティング、支払い、金融など経済活動のあらゆる側面における改革をもたらしました。政治的にも個人が情報を発信できる時代を到来させました。文化や芸術面でも表現に関するさまざまの新しい手法や素材を生み出しました。
  アメリカで興ったIT産業の裾野が世界中に広がり、20世紀の終わりにはIT革命が現実化しました。この過程においてアメリカの企業が先導的な役割を果たし、かつ大きな収益を上げたことは間違いありません。シリコンバレーを中心にITバブルを現出するほどになりました。
  コンピュータのそもそもの構想はアメリカで生まれたものではありません。19世紀のイギリスの数学者であるチャールズ・バベッジ(Charles Babbage)によって「階差機関」として提案されていました。これがしだいに現実のものとなっていくのは20世紀の中ごろで、いまだ日米で太平洋戦争が戦われていた最中でした。それ以来、アメリカを舞台の中心として息の長い探求と開発の歴史がありました。
  世界で最初のコンピュータであるENIACがアメリカで作られたのは1946年のことでした。固体半導体は考案されていませんでしたので真空管を用いたものでした。固体半導体の現実化は、シリコンバレーのFairchild Semi-conductor社による1957年の成果まで待つ必要がありました。
  プログラム内臓方式を考えて、外部から一々に計算式を与えないでも自動的に演算(情報処理)を行う方式を具現化したのはJ. L. von Neumannで、1947年のことでした。
  N. Winnerは1947年に“Cybernetics”の考え方を提示し、コンピュータを中心とするネットワーク処理の考え方を提示しました。C.E. Shannonは1948年に“Theory of Communication”を著して、バイトやビットという情報量の把握に関する基礎的な理論を確立しました。
  コンピュータ間の情報通信を、迂回路を経由することも含めて多様なルートによって可能とし通信を確実にする技術はアメリカの国防省で開発されました。軍事的なねらいをもって開発されたARPANETがそれで、1969年のことです。これが現代のインターネットの基礎技術となってネットワーク社会を現出しています。
  このような情報通信に関する理論や基礎的研究の積み重ねの上にたって、1969年にはIBMによって360 seriesという大型コンピュータが開発されました。1976年にはシリコンバレーのベンチャー企業であるApple社によりパソコンが生み出されました。
  日本も「追いつき追い越せ」がほぼ達成したと考えられ、さらに1970年代の石油危機を乗り切った際には「次の革新技術・産業は何か」について模索が行われました。しかしIT革命ほどの大革新に思い至ったり、現実化したりすることはできませんでした。


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