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アーノルド・トインビー「高等宗教の誕生」

 アーノルド・トインビー(1889~1975)はイギリスの文明学者で、ヤスパースとほぼ同時代に活躍しました。世界よりは小さいが国家よりは大きい歴史単位を設定して人類文明の興亡を研究し『歴史の研究』(A Study of History)10巻を著しました。1~3巻を1934年、4~6巻を1937年、7~10巻を1954年、『地図と地名索引』を1958年に出版しました。世界各地の人びとからさまざまの批判が寄せられたことに対応して『再考察』(Reconsideration)を1961年に著しました。欧米のそれまでの社会科学がヨーロッパ中心主義に立ち、かつ専門細分化の方向にあったことに警鐘を鳴らし「文明学」を確立しました。
 ヤスパースが「基軸の時代」とした時期について、トインビーは『再考察』のなかで「高等宗教が生まれた時代である」とします。前項で述べたマックス・ウェーバーの「宗教の合理化」と類似する見方ですが、着眼点が違いますから、諸宗教に対する評価もかなり異なったものとなります。
 トインビーのいう「高等宗教」とは、超人間的な絶対存在(つまり人びとが超越的存在と考える「神」や霊的実在)が、経済的・政治的な媒介を通じてではなく、人びとの前に直接的に顕現する宗教です。
 それまでの人びとの祈りや信仰は、個人の幸福であったり、一族の繁栄であったり、豊作や豊漁であったり、戦争における勝利であったりなどと、経済的・政治的な利益や願いを媒介として営まれました。基軸の時代には、そうした現実的要請を媒介とするのではなく、絶対存在が人びとと自ら直接向き合う宗教が生まれたというのです。つまり「神」と呼ばれる超越的存在や究極の霊的実在が、人の魂と直接触れ合う枠組みが生まれたとします。
 超人間的な絶対存在と人とが直接向き合うとき、各人が属する社会や文化の状況や条件とは関係なしに生き方や倫理性を問うこととなります。つまりそれぞれの集団や民族とは遊離した宗教が生まれた結果、他の集団や民族でも受け入れることが可能で、人類が共有できる普遍的宗教が誕生します。トインビーはこのような普遍性を備えた宗教を「高等宗教」と呼び、人類史上、基軸の時代において初めて登場したと考えました。

 以下では「基軸の時代」に世界各地で生まれた諸宗教を、トインビーが「高等宗教」の観点から、どう評価したかをみておきます。
 諸宗教のひとつに「仏教」があります。釈尊の教えを一言でいえば「人のあらゆる欲望が消えた状態を涅槃とし、かかる至高の境地に到達するよう修行を重ねるべし」と集約することもできるでしょう。自己中心主義の拠って立つ源は「欲望」ですから、欲望を超克することは各人の利益はもちろん、社会の利害から遊離した境地を追究することになります。
 また「釈尊の死後にどう実践すればいいのか」と弟子のアーナンダに問われたとき「自らを灯明とし、法を灯明として修行せよ」と語ったとされます。意味するところは修行の目標を各人の心の持ちように委ねると考えられますから、救済への道が一つだけではないことに心を開かせます。すなわち釈尊の教えは「自らも生き他人をも生かす用意がある」ものとして、トインビーが高度の普遍性を与えました。
 基軸の時代に生まれた宗教は、ほかにゾロアスター教、バラモン教(のちにヒンズー教)、ユダヤ教の3つがあります。それぞれは、アフラ・マズダー(叡智の主)、梵天(宇宙原理であるブラフマンの人格神化)、ヤハウェと呼ぶ唯一神を絶対存在とします。これらは人格神であるため具象化されると(特定の民族や種族の姿で表されて)普遍性を減じるおそれがありますが、偶像化が否定されておれば問題は発生しません。トインビーはこれらの絶対存在も涅槃に通じる性格を有するとして、やはり革命的な文化的・社会的影響をもつとしました。
 ところがこれら3宗教においては、絶対存在が世界にあまねく実在する(遍在する)主であると考えるようになった後も、依然として当初に生まれた集団や社会を守護し、救う主体である(つまりは民族の神)と考え続けたので、普遍への道を歩み始めたものの途中で停止してしまったと考えました。
 くわえてトインビーは、これら3宗教に次のような問題点を指摘します。
 ゾロアスター教は、それが生まれた民族である古代アーリア人社会に特有の世俗的な律法体系に従わせようとしたので、普遍性を持ちえないとしました。
 ヒンズー教は、さまざまの信仰対象を取り入れ、一切を包容するという共存の精神を基本とするから普遍性をもちうるとしました。ただし各人をカースト(社会階層)に位置づけて特定の社会構造の一員に帰化するよう求めたので、高等宗教としては不十分であるとしました。
 ユダヤ教のヤハウェ神は、人格神でありながら偶像化をきびしく拒絶しました。ただし周辺の諸宗教に対して非寛容であったばかりでなく、自分以外の高等宗教に対してもつねに非寛容でした。ユダヤ民族は、自分らの神が古い宗教や他の宗教の神々よりもはるかに霊感に富み信服させる力が強いとし、ヤハウェの啓示する言葉を唯一の救済手段としました。ユダヤ教のみが絶対的真理への道であるとして強い排他性を維持したので、高等宗教の資格に欠けるとしました。

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