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平尾墳墓群―大束川上流の出現期古墳

 丸亀・坂出平野では綾川、大束(だいそく)川、土器川などが北の阿讃山脈から南に向けて流れ、広さは高松平野にほぼ匹敵する。平野の中央を流れる大束川は、瀬戸内海への河口が宇多津町にあたるが、上流域は丸亀市に属する。
 この上流域に弥生終末期から古墳時代初頭にかけての墳墓群がある。北に聳える高見峰・猫山・城山という連山を水源域として、早期に水田稲作が発達した。早くも前方後円形の墳墓や古墳が登場するのが、讃岐の特徴である。
 「平尾墳墓群」(丸亀市綾歌町)は、レジャーランド・レオマの開発にともなう埋蔵文化財調査により、レオマの入り口付近で発掘された。猫山(標高467.7m)から北方向に急角度で下る斜面が標高140~120m付近で緩くなる鞍部にある。5基の墳墓から成り、2~4号の3基は前方後円形、5号墳は円墳で、1号墳は未調査のため墳形不明。(写真)
 『平尾墳墓群』(綾歌町教育委員会 1998.12) によれば、次のとおり。讃岐・平尾墳墓群(位置図 縮小).jpg

 「3号墓」が丘陵尾根のもっとも高所(標高141.2m)にあり、地山整形に盛り土を加えて造られた前方後円形の墳墓である。後円部は[径17.5×15.6m]と地山に沿った不整円形。前方部は2段築成で、幅4.7mのくびれ部から先端に向けた形が上下の段築で異なる。上段は長さ23.5m/先端幅6.5mとバチ型に開く。下段は長さ28.8m/先端幅5.3mとより細長い。したがって墳長は、23.5mと28.8mの両様を示す。さらに前方部の先端に [3.0×3.8m] の台形状の祭壇が付加されており、これを加えれば全長31.8mとなる。
 後円部頂に埋葬部2基がある。第1主体は安山岩板石製の竪穴式石室(長さ2.58m) が東西方位にあり、粘土床に割竹形木棺(長さ2.30m)を想定。出土した鉄剣1(長さ24cm)は、過去の副葬例から弥生時代中期後半~古墳時代前期のものとみられる。第2主体は、墓壙の底に短足板を据え込んだ小さな木棺直葬墓(内法136∼144cm)で、南北方位。
 後円部頂以外にも埋葬部2基がある。第3主体は上/下段の間のテラスにある土壙墓で、出土した壺型土器1と土器片1は弥生時代中期末と推定。第4主体は後円部の外にあり、箱式石棺で遺物なし。
 多葬墓型式や土器の年代観が極めて古い時代を示すのに対し、前方後円形の墳丘、粘土床を用いた竪穴式石槨、鉄剣の副葬などは弥生時代後期後半を想定させる。地域の墳墓文化が先進的であったことを示唆するもの。
 
 「2号墓」が、3号墓から尾根を北東方向へ110mほど緩やかに下った位置(標高138m/比高70m)にある。墳長28mの前方後円形で、後円部径[15×20m] と楕円形。前方部はくびれ部幅10mに対し、先端幅6mと先端部がすぼまる浣腸器形。自然地形を利用したためとみられる。
 埋葬遺構は後円部に7基・前方部に10基の合計17基あり、内訳は箱式石棺2、木棺15で、後円部にある大型の埋葬部は、すべて東西方位。
 第1主体は、安山岩板石製の箱式石棺(長さ3.3m)で粘土床あり。盗掘されており、遺物なし。第2主体は、割竹型木棺の直葬とみられ、鉄剣1 (長さ31cm)を出土した。
 他の埋葬部から、いくつかの土器片を検出したが、小片で時代の特定に到らない。唯一、くびれ部から出た壺の口縁部が弥生時代後期前半のものと推定。

 「4号墳」が、2号墳からさらに北北西に下る尾根筋(標高128m/比高60m)にある。墳長18m/後円部径12mの前方後円形。前方部は長さ6mと後世のものより短く、くびれ部幅=先端幅=5mと柄鏡型。くびれ部に約30個、埋葬部に数個の集石があり、盗掘によって移動した石槨の素材か、葺石か、断じがたいという。
 後円部中央の埋葬部は、箱式石棺ないし竪穴式石槨が想定され、割竹型木棺(長さ255cm)の直葬を推定。木棺内から出た壺の胴部破片の胎土は“下川津B類土器”に類似し、庄内式(古相)に併行する蓋然性が高い。水銀朱が付着していた。

 「5号墳」が、4号墳の前方部の先にある。盛り土はほとんど流失しており、径10mの円墳と推定。墳丘中央にある埋葬部2基は東西方位で、上半分が削平され、遺物なし。
 第1主体の舟形木棺(推定)が国分寺六つ目古墳のものに類似し、築造時期を同じと見れば3世紀末ないし4世紀初頭(古墳時代前期後半初頭)の築造。

 以上から平尾墳墓群の2~5号墳の4基は、弥生時代中期末/後期後半~古墳時代初頭にわたって築かれたもの。これらの築造順を考察してみよう。
 墳墓は地形に沿って高所から低所に向けて順に造られることが多く、その順番とすれば、3号墓(標高141m)→2号墓(標高138m)→4号墳(標高128m)→5号墳(標高125m)の順に築かれ、3号墳は弥生中期末の築造となる。いっぽう墳墓形式から見れば、2号墓がより古い多葬墓形域を示すのに対し、3号墓が後世に定型化される前方後円墳に近い。かくして2号墓・3号墓の築造順の確定は難題。
 4号墳・5号墳はより新しい傾向を示す。
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