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式内社(神祇官)

 延喜式の話の最後に「巻9 神祇」にある天神地祇(アマツヤシロ クニツヤシロ)を祀る神社を取りあげる。天皇を権威の頂点とする古代国家は、神社で行う神道儀礼を統一維持の大きな要素とした。延喜式に記される神社た「式内社」と呼ばれ「大」と「小」がある。
 延喜式にある神社の祭神総数は、3132座(クラ)。うち神社数を意味する「社」は、2861処、主祭神以外の祭神の「前」は、271座である。
 3132座のうち492座が「大」である。うち304座は祈年・月次・新嘗祭の案上の官幣に預かり、なかんずく71座は相嘗祭に預かる。残りの188座は祈年の国幣に預かる。
 残りの2640座が「小」である。うち433座は祈年の案下の官幣に預かり、残りの2207座は祈年の国幣に預かる。

 以上の用語につき、虎尾俊哉著『訳注日本史料 延喜式』(集英社 2000)のほか、各種資料により解説すると、次のとおり。
 祭式を行う期日については、
「祈年(トシゴイ)祭」は、毎年2月4日に行う祈年の祀りで、その年の豊穣を祈る。
「月次(ツキナミ)祭」は、祖神が帰ってくる日とされる季夏(6月11日)と季冬(12月11日)に行う。宮中で天照大神を祀り,火を改めて天皇が炊いた飯を供え,自ら食する神今食(ジンゴジキ・ムカイマケ)の祭儀を行う。
「神嘗(カンナメ)祭」は、収穫の初穂を皇祖神に献ずる収穫祭で、9月11日に行う。稲を一本一本抜く抜穂により収穫し、新穀は御稲御倉に貯蔵する。
「新嘗(ニイナメ)祭」は、11月の下卯(ゲウ)の日(満月の前2日から下弦の後2日まで)に行う。官田における収穫高の報告に始まり、新穀を神と天皇に供して始祖神祭と稲魂信仰が不可分であることを示す。式次第は月次祭とほぼ同じ。
「相嘗(アイナメ)祭」は、王権がとくに重視する神々に相伴する。天皇が他氏族の祭神を直接祀ることはせず、委託形式で在地41社71座の祭祀を行う。

 祭儀の方式については、
「官幣に預かる」とは、神祇官が捧げる幣帛を、受領者が神祇西院の班幣(幣を分かつ)の儀式に参加して受け取ること。10世紀中ごろに京畿の有力16社に固定され、10世紀末に5社が加えられ、21社への奉幣が中世の神祇秩序の基本となった。
「幣帛(ヘイハク)」とは、神に奉納するものの総称で、絹・糸・調布・庸布・鰒・鰹・海藻・塩などが含まれた。
「案」は、幣帛をその上に捧げる机または台で、四足のものが一般的。「案上に預かる」とは幣帛を案上に置いて奉り、「案下に預かる」とは幣帛を案の下において奉る。
「国幣」とは、国司が捧げる幣帛のことで、官社数の増加にともない、地方神社の祭祀を国司に委任した。後代には、幣帛が糸と綿だけになった。

 四国の式内社は下表のとおりで、阿波国50座(大3座・小47座)、讃岐国24座(大3座・小21座)、伊予国24座(大7座・小17座)、土佐国21座(大1座・小20座)を数える。(表中に*マークを付けたのが「大」である。なお伊予の越智郡の姫坂神社は、写本によっては「大」と付されたものがある)

式内社.jpg

 四国の祭神数の全国比を求めると、式内社119座の全国比は3.80%(=119/3132)。うち「大」は 14座で、全国比2.85%(=14/492)。「小」は105座で、全国比3.98%(=105/2640)である。
式内社は畿内5カ国に集中し「大」の割合も大きい。建国に際して活躍した神々(人物)が畿内に多く祀られたからで、神祇祭祀も天皇が居住する畿内を中心に行われた。このため四国の祭神数の全国比は、人口やコメの収穫高などのそれに比べて小さい。
阿波国は畿内に近いだけに、かなり多い。天照大神が「天の岩戸」に隠れた折に、岩戸の前で幣を奉った神に天日鷲神(アメノヒワシノカミ)がいた。その孫らを率いて天富命(アメノトミノミコト)が阿波にわたり、穀・麻を植えた。彼らが阿波忌部氏の祖になったとされ、関係する神社が多い。

 今日、各地にある「大社」と称する神社は延喜式に拠る場合が多いが、明治維新後の太政官布告(明治4年)は、全国の神社を大社・中社・小社などに分けた。
 また各地域でもっとも社格が高い神社を「一之宮」と呼ぶことがあり「全国一之宮会」も結成されている。ただし過去には、一之宮争いなどもあったようだ。
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