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マカオ・聖パウロ教会

マカオ観光の圧巻は聖パウロ教会(聖ポール天主堂とも。カトリック教会の建物)です。17世紀の初頭に建造され当時としては東洋一の威容を誇ったとされますが、1835年に火災にあいました。後方の聖堂部分は木造であったために失われ、その後は再建されておりません。現在は、石造りであった正面建造物(ファサード)のみが残って、高く平たく佇立しています。

これが観光用のパンフレットなどにたいてい掲載されているマカオの歴史資産で見物の最大のハイライトです。まわりはゆったりとした面積が確保され、土地の狭い限られたマカオでは例外的な存在といえます。ファサードの前面にはゆるい階段が続き、花々で飾られています(写真参照)。

マカオ・ファサード.JPG

ここで写真を撮るのがマカオ観光に来たことの証しですから、団体でカメラに収まろうとする人びとが絶えません。中国や韓国などからの訪問者も多いので、良好なカメラ・アングルを得て写真に収まるには少しの時間と要領のよさが必要です。

ファサード前のゆるやかな階段を下りたところからみやげ物や食べ物などを売る商店が並びます。前項で紹介した教会、議事堂、広場などに通じる商店街が広がるわけです。

ところでファサードには、教会建築としてお定まりのように、イエス・キリスト像、聖母マリア像、天使などの彫刻や浮き彫りが配されていますが、この地域の特色としてフランシスコ・ザビエル像もあります。布教のため来日したことで、我が国でも広く知られている聖人です。

問題となるのは下から3段目、つまり建物の3階に相当する部分の向かって右側に残る浮き彫りです。我々を案内してくれた現地の日本人ガイドが次のように熱弁をふるいます。

「徳川家康のキリシタン禁制によって追放されてマカオに住みつき、もはや帰国を許されなかった日本人が大勢いました。彼らは家康を恨みに思い、七つの首の竜という醜悪な姿に刻みました。傍らに骸骨に矢が刺さった図柄を配したのは家康への怨念を示すためです」そういう説明を耳にしながら浮き彫りをカメラに収めました(写真参照)。家康?.JPG

 17世紀初頭にはマカオに住んだ日本人キリシタンの数が30万人ともいわれますから、なかには教会正面の石彫りをまかせられるほどの優れた石工がいたのでしょうか、いたとしても教会内における強い発言権を持てたのでしょうか、怨みを込めたにしては家康の表情が柔らかいような気がする、などと考えながら聞いていました。

このことが気になっていたので、帰国後にさっそくこの部分を記述した書物がないか探しました。『マカオで道草』(島尾伸三ほか著 大修館書店)と題する本で、それを見つけました。これによると「(ガイドが家康としたものは)七つの首をもつ竜で七つの海を表し、骸骨と矢の図柄は航海に出ることの苦難を示す。これによって世界の海に乗り出すポルトガル人が聖母マリアの加護を願ったものである」というのです。

さて、どちらの説明が妥当なのでしょうか。もし現地へ行かれる機会があったら、よく観察してください。


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