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郡・評と郷・里

 古代の地方行政組織として「国」の下に「評(コホリ)」があり、その下に50戸ごとに編成された「五十戸(サトと読む)」があった。「乙巳の変」の翌年に出された「改新の詔」(646)に「立評」の文字があるので、このとき「評」が導入されたとされてきたが『日本書紀』の記述は、終始「郡」で通している。
 そこでどちらが事実かについて、史料そのものの信憑性問題とも絡んで「郡評論争(ぐんぴょうろんそう)」が長く続いた。出土する木簡の表記が、大宝令(710年)を境に「評」から「郡」に変わる事実が重なり、大宝令で評を郡に改めたとする理解が一般的になった。
 「評」が施行された時期は地域によって幅があるようで、7世紀の中ごろ地元の有力者に「評造」(コホリノミヤツコ)の姓が与えられた。「五十戸」は、大宝令より前の持統天皇のとき「里」に変更された。

 「郡」になると「郡衙(ぐうが)」or「郡家(ぐうけ・ぐんげ)」の施設が設けられ、郡司をおいた。郡司には、かつて国造・評造・伴造・稲置(イナギ)などであった者が選任された。稲置は国造などと並存し、生産物の貢納などを担った者のようだ。郡司は終身制で世襲のこともあったから、数年任期で中央から派遣される国司に比べ、権力的に重きをなした。
 しかし王権は次第に郡司などの力を削ぎ、国司への権限集中を進めたから、やがて国司を通じる地方の支配体制が確立した。郡の下部組織である「里」は、のちに「郷」に改称された。

 「延喜式」において「5畿7道」に分かたれた国と郡の数は、次のとおり。721年に出羽が北陸道から東山道へ、771年に武蔵が東山道から東海道へ変更された。823年に加賀が設けられた。(当時の支配の実態から北海道と沖縄は含まない)

 畿内は5ヵ国53郡  東山道は8ヵ国112郡  東海道は15ヵ国128郡
 北陸道は7ヵ国31郡  南海道は6ヵ国50郡  山陽道は8ヵ国69郡
 山陰道は7ヵ国52郡   西海道は11ヵ国96郡

 南海道に属する四国4ヵ国について、国ごとの郡と郷の数および郡の名前を「延喜式」と『和名類聚抄』によって、次に示す。和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)とは、承平年間(931-938)に源順が編纂した当時の百科事典で『和名抄』と略称される。
 郡の数で計算すると、四国の郡数41は、全国(北海道と沖縄を除く)の群数合計592にしめるウエイトが、6.93%(=41/592)になる。

 阿波国は上国にして中国で、9郡・46郷からなる。
 郡名は「板野、阿波、美馬(みま)、三好(美馬から分離)、麻殖(おえ)、名東(みょうどう)、名西(みょうざい)、勝浦、那賀(なか)」である。名東と名西は、名方(なかた)が分割された。
 讃岐国は上国にして中国で、11郡・90郷からなる。
 郡名は「大内、寒川、三木、山田、香川、阿野(あや)、鵜足(うたり)、那珂、多度、三野、刈田(かりた・かた)」である。『和名抄』は、刈田について「或は豊田」とする。
 伊予国は上国にして遠国で、14郡・72郷からなる。
 郡名は「宇摩、新居(にゐゐ)、周敷(しゅふ・すふ)、桑村、越智(おち)、野間、風早、和気、温泉(ゆ)、久米、浮穴(うきあな)、伊予、喜多、宇和」である。平安前期の歴史書である『類聚国史』は、新居はもと神野(かんの)であったが、嵯峨天皇の諱名(いみな)に触れるので忌避したとする。
 土佐国(土左国) は中国にして遠国で、7郡・43郷からなる。 
 郡名は「安芸、香美(かかみ)、長岡、土佐、吾川、高岡(吾川から分離された)、幡多(はた)」である。

 郡の下部組織の「里(郷)」は、原則として50戸で成る。「戸」は、男系・女系のイトコを超えない範囲で集住する親族で、必ずしも同じ棟に住むわけではない。1戸はふつう20人ほどで構成され、正丁(21~60歳の男性)が4人ほどいたとされる。
 「延喜式」は郡の規定につき「上限を1000戸とし、それを超える場合には別に郡を立てて分割せよ。下限を100戸とし、それを下回る場合には近隣の郡に合併せよ。地理的に合併がむつかしい場合には中央へ申し出よ」と定める。つまり郡の規模には大小があり、大郡は20~16里で成り、小郡は3~2里で成る。

 郡数に比べ郷(里)数が、当時の人口状況をよりよく反映するであろう。そこで『和名抄』が示す国ごとの郷数において、四国の全国ウエイトを計算すると、6.23%(=251/4026)になる。このあたりが当時の人口において、四国が全国に占めるウエイトであろう。(郷の数は『和名抄』の版の違いにより、少しずつ異なる)
 最新時の2019年の人口では、四国が全国に占めるウエイトは2.95%である。いっぽう弥生時代のそれ(北海道・沖縄を除く)は、弥生時代の項で示したように5.1%と推計された。これらに比べると、律令時代の人口における四国の全国ウエイトは、そうとうに高かった。
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