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田租と出挙

 律令制下における基本的な産業は水田稲作である。そこで班田収授制により各人に口分田を配布し、収穫の一部を「田租」と「出挙」により収納する体制をつくった。口分田は6歳以上の男子に2段(1段は約11.7アール)を、女子にはその3分の2を配布した。6年毎に戸籍を改訂し、死亡において口分田を回収した。
 そのうえで収穫時に1段につき2束2把の頴稲(エイトウ、モミが先についたままの刈り取った稲)を納めさせた。「束」とは稲を片手で握れる量の単位で、頴稲10束が籾(モミ)付き稲の1斗に相当し、舂米(ショウマイ・つきよね)という搗いた状態の玄米や黒米では5升に相当した。

 田租の古訓は“タチカラ”(田力)といい、イネは神からの授かりもので、収穫量の3%ほどの低率を神に奉戴するのが制度の起こりとされる。大宝令(701年)・養老令(718年)も、同率であった。706年に2束2把が1束5把に改められたが、単位の変更によるもので、実量に変わりはない。
 収納された頴稲は国司のもとで管理され、各地の「正倉」に保管された。満載になった倉は「不動倉」として封印され、倉の鍵が京に送られた。災害や不作に備える備蓄米とする趣旨だが、中央で一元的に管理されたところに、中央官庁の財源となる基があった。

 そのいっぽう、古くからの勧農救貧制度として「出挙(スイコ)」があった。稲籾を持たない貧農に対し、官衙が春に種もみを「有利子消費貸借」の形で貸し付け、秋に利子付きで稲穀を返済させる仕組み。1粒の稲籾は何倍にも増えるから、収穫時に貸付量に20%の利率を加えて回収した。利率は時により変動し30~50%のときもあった。貸し出した稲を「本稲(ホントウ)」といい、利子に相当して納入させるものを「利稲(リトウ)」といった。
 7世紀のころから「評」の有力者が出挙を営み、郡家(ぐうけ)や土地の有力者が引き継いだ。これを「私出挙(シ・スイコ)」といい、取り立てられて郡司などのもとに保管された稲穀を「郡稲」といった。
 8世紀のころから国衙でも、国司がイネを貸し付け、秋に一定の収穫物を収納するようになった。これを「公出挙(ク・スイコ)」といい、国衙と百姓との間に恒常的に債務関係が存在することとなり、事実上、租税化した。

 出挙制度は、さまざまの名目の雑官稲を生み出した。街道の駅家(うまや)を維持する目的の「駅起稲」が始まり、有事に備える「兵家稲」の記録もある。制度が複雑化したので、734年に郡司などの権限を取りあげ、すべてを国司の管理下に置き、地方財源を一元化した。これを「官稲混合(カントウ・コンゴウ)」といい、国司の管理下で取り立てるものを「正税(ショウゼイ)」といった。
 しかしこの状態は長続きしなかった。744年には国分寺・国分尼寺の運営のため「国分稲」が加わり、745年には未納の場合に補填したり、国司の管理責任に報いたりする名目で「公廨(クガイ)稲」が導入された。
 10世紀になると、一定量のイネはつねに農民の手元にあるとの理論づけにより、本稲を貸し付けることなく、毎年秋に利稲相当分を取り立てる国が増えた。これを「利稲率徴(リトウ・リツチョウ)」といった。
 さらに「延喜式」では、年々の豊凶により財源が不安定となることに対処し、「巻26主税上」に国ごとの本稲額の定数を設けた。税目は正税・公廨・国分寺料のほか、文殊会料・修理池溝料・救急料が加わり、これら6種は原則としてすべての国に賦課された。四国4か国における本稲額の定数は、次のとおり。

 阿波国 合計50.65万束。(内訳―正税・公廨各20万束 国分寺料14000束 文殊会料2000束 修理池溝料3万束 道橋料500束 救急料6万束) 
 讃岐国 合計88.45万束。(内訳―正税・公廨各35万束 国分寺料4万束 弥勒帰敬寺燈分料500束 五大菩薩供養料2000束 文殊会料2000束 薬分料1万束 造院料1万束 修理池溝料3万束 救急料8万束 俘囚料1万束) 
 伊予国 合計81万束。(内訳―正税・公廨各30万束 大学寮料1万束 国分寺料4万束 文殊会料2000束 鋳銭司俸料2.8万束 修理池溝料3万束 救急料8万束 俘囚料2万束)
 土佐国 合計52.8688万束。(内訳―正税・公廨各20万束 国分寺料1万束 文殊会料1000束 修理安祥寺宝塔料5000束 修理池溝料2万束 救急料6万束 俘囚料3.2688万束)

 四国4ヵ国の本稲額の定数合計は272.9688万束であり、全国67ヵ国の定数合計は4376.4301万束である。これに基づき四国の全国にしめるウエイトを計算すると、6.24%(=272.9/4376.4)となる。前項において郷の数における四国の全国ウエイトが6.23%であったから、おおむね人口数を勘案して国ごとの定数が設けられたようだ。
                  
 以下に、公出挙で定められた税目の概要を『訳注日本史料 延喜式』(虎尾俊哉 集英社 2000)によって示す。
<以下は、標準6税目について>
 正税(ショウゼイ);国衙の一般的な歳出に当てるためのもので、諸国の正倉に貯備される建前の稲穀で地方税といえる。後述する調・庸が中央政府の財源であったのに対し、これは国衙中心で運用されたが、交易(購入)して中央へ貢納する折の財源にもなった。
 公廨(クガイ);正税の補填用で未納分の補填や臨時費用にあて、残りを国司に俸禄として配分する建前であったが、多くは国司の俸禄化した。757年に本稲定数を、大国40万束・上国30万束・中国20万束と定めた。公廨とは役所(office)の意。
 国分寺料;744年の創設時に、国分両寺(僧・尼)に各2万束と定めたが、維持費などの変動を理由に増減した。
 文殊会(モンジュエ)料;大国と上国は2000束、中国と下国は1000束を原則とした。
 修理池溝料;当該国内の道や橋の修理・維持が名目。
 救急料;貧窮の民を助けて生業を続けさせるねらい。

<以下は、標準以外で、四国で課されている税目について>
 弥勒帰敬寺(ミロク・キキョウジ)燈分料;内容不詳。
 五大菩薩供養料;空海が五大虚空蔵菩薩の画像を描かせていることに関係するか。
 薬分料;施薬院の薬利の原資に当てたものか、14か国にある。
 造院料;後院(天皇の譲位後の御座所)のための財源か、讃岐・近江・丹波・備前にある。
 大学寮料;大学寮の雑費や学生の食料費に充てる。伊予・常陸・近江・越中・丹後・備前にある。
 鋳銭(ジュセン)司俸料;周防国にある鋳銭司(官営の鋳銭所)の俸禄に充てる。伊予・備後・周防で各2.8万束ずつ、計8.4万束がある。
 俘囚料;帰降した東国出身者を各国に移住させ、彼らに給するためのもの。
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